音楽一家に生まれたジョンが、楽器を手に、ぎこちないテクニックで熱演し始めたの は6才から。10代になると、サーフ/パンクバンドでギターを弾き始め、続けて ハードコアパンクで活動した後、ポストパンクバンドを結成、これが後にThe subjectsとしてデビューした。The Subjectsは、ワールドミュージックを反映した、 当時まだ明確なジャンルとして認識の浅かったトランス・ブレイクビーツが特色の 12インチシングルを4枚、90年代初頭にリリース。ジョンはまた、Murder City Playersというレゲエバンドで精力的にライブ活動をし、Nighthawk RecordsからCD をリリースしている。ワールドミュージック、ダブ、レゲエ、ヒップホップやエレク トロニカをフィーチャーしたラジオ番組も担当していたが、低賃金で人をこきつかう 地元のレコードショップで働いてもいた。最悪の職場だったが、少なくともそこで音 楽の趣味が広がり、ダブ、スークス、バングラ, インドの映画音楽、ジャズ、前衛ク ラシック、ラウンジ、中東の音楽、そして沖縄のネーネ―ズや喜納章吉まで聴くよう になった。

そのままレコードショップで働き続ける選択はありえなかったので、ジョンは大学院 に進んで地理学を専攻し、1998年、たまたま寄った沖縄でキースと知り合い、意気投 合。そこから二人の(今はまだほんのささやかな)歴史が始まった。ジョンは沖縄の 三線を習い、カラオケバーで酔っ払たりしながら、キースとともにラップトップで音 楽を作り始め、そこから出来上がったのが、琉球アンダーグラウンドのファーストア ルバムだった。それからさらに充実させた機材を使って、2枚目のアルバム“毛遊 び”が生まれる。ジョンは毎晩3時4時まで作業にのめりこんでいるようだが、もうす ぐ誕生するベビー次第で、そんな生活にもちょっと変化が出てくる可能性大だとか。

BACK