キース・ゴードンはイギリスのニューキャッスル生まれ。地元のライブハウスで他の バンドに混じってDJを始めたのは、なんと14才の時から。1982年の当時は、 主に、 ニューオーダー、エコー・アンド・ザ・バニーメン、スミスといった、オル タナティブ・ミュージックをプレイしていたが、16才の時にあるアメリカ人DJと 知り合い、彼の持っていた70年代の古いファンク/ソウル/ディスコクラシックの クールなコレクションで本格的に音楽に開眼、その後ヒップホップやファンクなども 地元クラブでプレイし始めた。その当時、ニューキャッスルではヘビメタやゴス、パ ンクが流行っていたが、ウォーカーズという有名なソウルクラブがあり、そこでキー スはなんとか平日の夜にプレイするのにこぎつけ、パンクやインディーズから、ヒッ プホップ、初期のシカゴハウスまで幅広い音楽をミックスしてプレイ、常時1500 人を超える動員数を記録するほどのイベントを続けた。それから数年間は、大学で得 た奨学金でインディーズのバンドをプロモートしたり、イギリス北部でDJをして、 あの熱狂的なマッドチェスター/ハシエンダのムーブメントを目の当たりにする。同 じ頃、イビサで出会った開放的なヨーロッパ人たちに刺激されたことと、退屈なUK 音楽シーンに不満を覚え、彼はデンマークへ向かう。DJやリミックスの仕事をして いたその間に、TVドラマ「ツインピークス」のテーマソング “Falling”をダンス ミュージックにカバーし、ヨーロッパ内でささやかなヒットを記録した。

それから税 金対策のためデンマークを離れ、東南アジアを1年ほど旅行して周る。タイに滞在し た後、マレーシアを旅行し、インドネシアに渡って、最終的にオーストラリアで3年 間を過ごす。この滞在中に、ある沖縄人との出会いを通して、日本を訪れることと なった。本土で数年間を過ごし、1997年に沖縄の岸辺に打ち上げられて以来、県内の クラブでDJをはじめ、浜辺でのオールナイトパーティなど、様々なイベントを手が けていたが、2台のラップトップとちっぽけなキーボードを使った、琉球アンダーグ ラウンドとして初めての実験的な試みが始まったのは、ジョンと出会ってからすぐの ことだった。彼は今も沖縄に住み続け、沖縄を今までの「ワールドツアー」の最終地 だと考えている。地元の中学校で英語を教える傍ら、大きく育ったブーゲンビリアの 手入れをしている彼や、島中を歩き回って琉球アンダーグラウンドの次回作のための 写真をとっている彼を見かけることがあるかも。

BACK